2014/09/20

裏地について思う。

まぁこの前書いたボタンの話と同じなんですが、今度は裏地編を。

『裏地に凝る』歴史を考えると、あるときはお金持ちが資産を隠すためだったかもしれませんし、あるときは倹約令への反抗のためだったのかもしれません。
それが時代は変わり、現代では『裏地に凝る』事が美意識として定着しているように思います。

私もお洒落に目覚めて以来、裏地に凝るのはお洒落だな~と漠然と考えていました。
トムフォード時代のグッチが出したスカジャンは裏に春画が刺繍されていていいなと思いました。
裏地がエルメスのスカーフになっているクロムハーツの革ジャンは素敵だなと思いました。

ですが、最近また色々考えるんです。
ジャケットを飲食店で脱ぐときなど裏地が見えるシーンを考えると、上記の例のような服は、裏に凝ってますという意図が“分かりやすく”伝わり過ぎるんじゃないかな~、と。
自意識が少し余分に出過ぎのような気もするんですよね。

であるならば、スーツの内ポケットの裏地だけ華やかにするなど、徹底的に分からないように裏地に凝るのも、ひねくれた美意識としてアリなんじゃないかなと思います。
裏地を派手なものに変える事が即ちお洒落だと思考停止せず、自分なりの美意識を徹底的に考える事は大事なんじゃないかな、と感じます。
『裏勝り』は粋と言われて久しいですが、現代は倹約令も何もないわけですし、『裏勝り“隠し”』という感じで、裏に凝る概念を更に進めるのもいいような気がします。

私は朝早く起きたからって何を意味の分からない事を書いているんでしょう(苦笑)。
とりあえず顔でも洗ってきます。。

2 件のコメント:

シロ さんのコメント...

自意識が少し余分に出過ぎ…なるほどなぁ~と思いました。
確かに、こだわっています、というのが人目に触れるのは少しイヤですね。
裏地を派手にするなら、袖の裏地にするのも良いかも知れません。

似たようなお話として…
実は、昔はジャケットの袖ボタンを一つ外して「本切羽ですよ」というのをやっていましたが、最近は気恥ずかしいような感じがして全部留めています。本当にしっかりと仕上げられたボタンホールは、わざわざボタンを外さなくてもステッチで素晴らしい雰囲気を醸してくれるという事が分かったからというのもあります。

kazamashunsuke さんのコメント...

シロさん、コメント有難うございます。

私も本切羽一つ外しを昔やっていました。
今も、袖丈が長めで常に軽く袖をまくって着用するカジュアルなジャケットについてのみ、常に一つ外しています。(この場合、袖をまくっているのでボタンを何個外そうが関係ないですが。)

まぁ結局は、その人の洋服に対する考え方とか姿勢次第なんでしょうね。
常に本切羽二つ外しの人を知っていますし、左袖の1個だけ外すといった人も知っています。
何でそうしてるのかは聞いた事無いので、理由は不明ですが、実はもの凄いこだわりがあるのかもしれません(笑)。

人それぞれですが、わざわざボタンホールを手縫いする職人まで指名しておいて、普段は全く外さない人もいるでしょうね。

ステッチで素晴らしい雰囲気が醸されるというのは同感です。
腕のいい職人が丸縫いしたシンプルな鞄とかを見て、細部のステッチからオーラや品格を感じた事がありますが、スーツも同様かなと思います。

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